どーも、アシモンです(^^)
私、気が付いたら趣味まみれ。
平日約12時間も会社にいるため、趣味の時間を割くのに日々奮闘しております。
しかし、大学生の時はめちゃくちゃ廃れており、夏休みとかなんとなーくパソコンで動画見てお菓子つまんで、気が付いたら夏休み終わってました。
今思い返すとなんともったいないことか。
今回は、何もできなかった私が、多趣味になったいきさつを紹介します。
だらだらと紹介していきますが、時間のない人は「人生一番のターニングポイント」だけ読んでいってくださいw
目次
なにもできなくなったわけ
多趣味になったいきさつの前に、なぜ何もできない人間になってしまったのかについてお話します。
部活をやめた
私の場合は、部活をやめたことが大きい理由だと思います。
なんの部活かは言いませんが、一応運動部でした。
高校生までは部活一筋で、朝から晩まで部活。
他のことはほとんどやってきませんでした。
大学でも同じ部活を続ければよかったのですが、残念ながら私とっても下手だったんですね。
何とかうまくなろうと練習したのですが、まともにプレーすることすらできず、大学では部活に入らないことにしました。
最初のうちは、自由な時間が増えて解放感もあり、毎日楽しく過ごしていたのですが、一週間くらいで空虚な気持ちになりました。
しかし、部活一筋だったため他にやることが思いつかず、また頑張っても結果が出ないんじゃないかという気持ちもあり何かを始める気にならなかったのです。
そうして、あっという間に廃れアシモンが誕生しましたw
趣味が増えたわけ
ここからは、趣味が増えていったいきさつを紹介します。
押尾コータローさんとの出会い
無事?に廃れアシモンが誕生したわけですが、ここからあるギタリストの存在を知ります。
廃れアシモンがいつものように動画を適当に鑑賞していると、ある一つの動画がオススメとして出てきました。
当時の私は思ったのです、めちゃくちゃかっこいいと。
しかも、どうやって弾いているのかよくわからんw
これが押尾コータローさんとの出会いでした。
幸い家にギターはあるし、中学生のころに少しかじっていたのでtab譜くらいは読める。
すぐにこの曲を調べ、楽譜があることを知り楽器屋さんへ。
そして楽譜を開いて絶叫。
見たことない記号だらけ。
それでも私は、何故かこの曲が弾きたいという思いが強くあり楽譜を購入、アコースティックギターにのめり込んでいくのでした。
囲碁との出会い
押尾コータローさんを知ってからは、ずーっとギターの練習をしていたのですが、大学三年生のある日、母親からある一言を言われます。
「囲碁始めなさい。」
唐突な一言にかなり驚いた記憶があります。
実は、祖父が囲碁をやっているのですが、母は残念ながら囲碁が打てないため、おじいちゃん孝行として初めてほしいとのことでした。
ただ、囲碁って堅苦しいし、難しいイメージしかないじゃないですか。
そこから見事に囲碁にはまっていく話はこちらをどうぞ。
ベトナムでのインターンシップ で英語に興味を持つ
ギターと囲碁を始めて順調に廃れを脱出した私は、大学三年生の時に流れに任せてベトナムのインターンシップに参加します。
一応私は電気工学科でしたので、内容はDC/DCコンバータを作るといったものでした。
そして現地につき、ある壁にぶち当たります。
それは、言語。
ベトナムではかなり英語が通じるのですが、私は高校生の頃は英語がとにかく嫌いで勉強しなかったため、全然理解できないのです。
しかし、ベトナムである二つの経験をしたことで、英語のやる気スイッチが入ります。
- 一つ目は、日本との授業の違い。
- 二つ目は、ある現地の方との出会い。
一つ目の日本との授業の違いですが、日本の英語の授業って、日本語でやりますよね?
英語の授業を母国語でやるの、多分日本くらいじゃないかと。
現地に行ったときにまず言われたのが、
「なんで英語の授業で日本語を使っているんだい?」
でしたから。
ベトナムでは通じようが通じまいが、英語の授業でベトナム語が出てくることはまずありませんでした。
とにかくしゃべって聞いて、わからなかったら友達に英語で聞いて英語で教えてあげる。
この体験はかなり衝撃でした。
ずっと日本で育ったため、日本の授業形態に疑問などなかったのですが、ちょっと考えたら英語の授業で日本語使ってたら英語が話せるようにはなりませんよねww
実際、このインターンシップではベトナムの学生は日常会話くらいなら誰でも英語で話すことができていましたが、日本の学生は私を含めてカタコトしか話せていませんでした。
二つ目は、ある現地の方との出会いですが、ベトナムでピザ屋さんに行ったときに、そこにいた現地の女性のお客さんが英語で声をかけてくれたのです。
どこから来たのとか、何をしに来たのとか、本当によくある質問でした。
しかし、私は、カタコトでしか返すことができなかったのです。
その時にその方が優しくこのように言ってくれました。
「今はまだ君は英語の勉強中で私と上手にコミュニケーションをとることができない。でも、こうしてベトナムまできて勉強しているのだからいつか必ず話せるようになる。その時に、君は私だけじゃなくもっと世界中の人と会話ができるようになる。そうして、君の世界が広がっていくことを祈っているよ。」
今よりずっと英語が苦手な私が聞いた内容なので、若干違うかもしれませんがこのようなことを言ってくださっていたかと。
こんなこと言われたら、みんなやる気出ません??
地獄の研究室でさらに英語への興味を持つ
囲碁とギターにのめり込み、順調に廃れを脱出したかに見えたアシモン。
しかし、大学四年生の時に何を血迷ったか地獄の研究室に入っちゃうんですね。
まぁ、人生で一番の黒歴史ですね。
時間的にも精神的にも趣味をやっている暇がなく、廃れアシモン復活です。
そんな研究室に、途中で留学生が入ってきます。
そして、私は教授から留学生のお世話係を任命されます。
もちろん、コミュニケーションは英語。
そして、ベトナムの経験で少しずつ英語の勉強を続けていた私にある変化がありました。
コミュニケーションができるのです。
うまく言葉が出てこなかったり、一回で伝わらなかったり聞き取れないこともたくさんありました。
そんな時に、ちゃんと相手に聞き返すことができるようになっていたのです。
相手に聞き返すと、相手の方は別の表現で言い換えてくれます。
英語を英語で勉強できる、すごくいい経験でした。
ただ、それでもスムーズなコミュニケーションとは呼べず、時には誤解を招いてしまうことも。
英語が上手にできたら、もっと楽しく会話できるのになと感じ、ますます英語に興味を持つようになりました。
人生一番のターニングポイント
研究室で廃れアシモンに戻ったまま社会人となった私。
そして、人生一番のターニングポイントは唐突に訪れます。
それは、奥さんとの出会いです。
本当に人生180度、いや540度変わりましたね。
いろいろ述べてきましたが、結局人間は大切な人のためには変われますわw
うちの奥さんの素敵ポイントの一つが「行動力」です。
何かやってみたいという前にすでに始めているような人です。
そうした奥さんの影響を受け、私に起きた変化は
- 奥さんが筋肉好きと知り、筋トレ始動。
- 奥さんにおいしい料理をふるまうべく、料理を始める。
- 奥さんからお金の仕組みについて学び、投資を始める。
- 奥さんと旅行に行くようになる。
- 奥さんから弓道を進められ、初心者教室に通い始める。
- 奥さんからブログの立ち上げ方を教わり、ブログを始める。
- ゲーム好きな奥さんとマイクラをやる。
- 奥さんと釣りに行って、釣った魚をさばいて食べる。
こんなに趣味が増えましたww
一度廃れたからこそ分かったこと
自分にとって大切な人を作れ
一度は何もできなくなってから多趣味になるまでに一番強く感じたこと、それは自分にとって本当に大切だと思える人を探すことです。
暗黒の研究室時代、自分としては本当に心が折れそうなときにふと思ったことがなぜか
「何が何でも彼女を作ろう。」
でした。
そうして本当に運よく今の奥さんと出会うことができ、同時に人間って好きな人のためなら本当に変われるんだなと心から思いました。
まぁ、私の場合、たまたま奥さんがハイスペックすぎて変わらざるを得なかっただけかもですがw
それでも、少なくとも大嫌いな筋トレを3年以上も続けている理由は、奥さんが筋肉好きだからというただ一点だけというのは事実なのです。
とにかくやってみなくちゃわからない
そして、「機会があったらとにかくやってみる」というのも大切だと感じました。
特に囲碁については、あまりに堅苦しすぎて母に言われるまではやろうという発想すらありませんでしたが、今となってはどうしてもっと早く始めなかったのかと後悔しかありません。
今自分の好きなことがわからないとして、何もしなかったら何が面白いのかわからないですよね。
私でいう囲碁のように、気づいていないだけで実は身近にとても面白いことが転がっているかもしれませんよ。
見逃してしまったらもったいなと、一度廃れたからこそしみじみ思うわけです。
まとめ
いかがでしたか??
自分の趣味が見つからない、楽しいことがわからないという人は、まずは何でも良いので始めてみるのも1つの手かと思います。
いろんな経験を積んでいくうちに自分の好きなことが見つかるかもしれません。
と、言いつつも自分が変わる1番の方法は、やっぱり本当に大切だと思える人との出会いですね。
文章が長くなりましたが、ぶっちゃけこれだけ伝われば私としては十分ですw